勝手につくば大使って一体なに…?!
おーっす!コムです。
勝手につくば大使のページへようこそおいでくださいました。いらっしゃいませ!
このページを読んでくださっている皆さまは恐らく、
「なんだ?このニワトリ。」「…あやしい」「何でこんなことしてるの?」「一緒にいるキリンは何者?」「ひまなの?」「バカなの?」「てかさ、バカなの?」
……などなど、勝手につくば大使について様々な疑問がお有りだと存じます。
と、いうわけで「勝手につくば大使」とは何なのか。
現在の活動の詳細や、勝手につくば大使の誕生秘話も!このページでお話していこうと思います。
怪しいっちゃ怪しいけど、決して怪しい者ではないのです!信じてください!!
勝手につくば大使の現在の活動
勝手につくば大使とは。
まずはじめに、勝手につくば大使とはなんなのか。
それは、
「茨城県つくば市の魅力を伝える活動」
です。
モヒカンがトレードマークで近所の小学生にニワトリと呼ばれてしまう大学生の代表コムと、
マネージャー兼カメラマンとして、つくば中を走り回るつくば生まれつくば育ちのキリンあぼ。
現在この2名で活動を行っております。
茨城県つくば市のことが大好きな自分たちは、あまりにもつくばが好きすぎるので、
勝手につくばの魅力を発信しています。
グルメ・イベント・伝統文化・サイエンス・インタビューなどなど、
掘り起こせば無限に存在するつくばの様々な魅力を、
読者の方々にもっともっとつくばを好きになっていただくために、
自分たちの体験を通して発信しております。
じゃあ発信ってどんな形でしているのや?
ご紹介させていただきます。
ブログ
活動の根幹となるのが、このホームページから読めるブログです。
つくばの魅力を探しに、色んな場所へ訪れ、
そこで見つけたつくばの魅力を写真と文章を通じて紹介しております。
勝手につくば大使が始まって以来、ブログをメインに魅力発信をしてきました。
ただどこに何があるのかだけではなく、その場所で自分たちがグッときた部分もまとめています。
大使のメンバー同士の会話、そこで出会った人との会話、その場所の雰囲気、
などなどを気軽に携帯でもどこでも見られるのがブログのナイスポイントです!
フリーペーパー(遅延の謝罪)
次に、ブログだけではなく現在生み出そうとしている媒体はフリーペーパーです。
その名も「勝手につくばタイムズ」。
2017年7月にクラウドファンディング「茨城県つくば市の魅力を広めるためにフリーペーパー「勝手にツクバーランド」を発刊したい!」を達成し、現在も製作中です。
当初の予定では2017年9月に発刊予定だったのですが、とんでもないほど見通しが甘く、完成がかなり遅れてしまっております。
ご支援いただいた皆さま、完成を楽しみにしてくださっている皆さま。
この場を借りまして、今回の遅延の件に関し深くお詫び申し上げます。
芸術系の友人に泣きついて助けてもらいながらもクオリティにこだわった結果、
当初発刊予定だったものより格段に良いものを製作できておりますので、
どうぞご期待くださいませ。
遅れてしまい、本当にごめんなさい!!!
このフリーペーパーは、つくばで出会った”人”にフォーカスを当て、
「一人ひとりが、どんなストーリーでどんな想いを持って、つくばで生きているのか」
を掘り下げた、魅力が詰まった冊子です。
ブログと違い、手にとって読めること。
また、このフリーペーパーを多くの人に読んでいただいて話のタネにしていただいたり
フォーカスを当てた方々を知っていただいたりして
つくばでの人と人とのコミュニケーションが増えたら良いなと願い、発刊します。
そうしてつくばの人々がより繋がることで、つくばが最高!ということが
もっともっと伝わったら嬉しいなと思っております。
発信活動
上記の方法に限らず、つくばを発信するためならどんな手段でも使います。
例えばイベントへの登壇、各メディアへの出演、海外遠征、なども大使活動の一環として行っております。勝手にだけど大使なので(笑)
今までお声がけくださったラジオ局、テレビ局、新聞社、ウェブメディア、イベント主催者、の皆様には
つくばの魅力発信する貴重な機会をいただきまして本当に感謝しております。
またSNSを通じても、情報収集・発信(Facebook)、ブログの更新情報・大使活動のつぶやき(Twitter)、グルメ写真(Instagram)などを発信しております。
よかったら見てみてくださいませ!!
さて、次は代表であるコムのことについて見ていきましょう!
勝手につくば大使がなぜ生まれたのか。その答えはここに隠されています。
コムの生い立ち
コムは平成5年11月15日、北海道網走市に爆誕しました。
網走市は一面見渡す限りのじゃがいも畑、牧場、流氷の浮かぶオホーツク海が美しい自然がある、むしろ自然しかない広大な場所です。
そのままのんびりと網走市で自然に囲まれながら牛たちと遊んで暮らしていく~~(・∀・)
とはいきませんでした。
というのも、親の仕事の都合で北海道に定住するわけにはいかなかったためです。
転勤族の宿命
関東を中心に日本各地を転々とする生活が続きました。
幼稚園、小学校と各3校ずつ転校し、
出会い、仲良くなっては別れ、また出会っては別れ。
そういった幼少期を送ってきました。
今となっては、色んな地域を幼少の頃から見られたことはむしろ貴重な経験だったなぁと思えるのですが、
当時の自分にとって、転校によってやっと仲良くなった友人たちと別れを繰り返すのはとても辛く悲しいことでした。
その結果、当たり前ですが
「転校したくない。マジ勘弁。」
と思うようになり、両親にもその気持ちを理解してもらえて選んだ道は、
中高一貫校に通うことでした。
勉強は苦手だったけど、とにかく友達と別れたくない自分にとって、この選択肢が最も輝いた道に見えました。
そして何とか埼玉県春日部市にある私立春日部共栄中学高等学校へと入学することができ、
友人と6年間別れることなく過ごしていける安心が手に入ったのです。
そこで出会ったかけがえのない友人たちとは、これからも一生付き合っていきたいと思っています。
しかし、またワガママな自分はこんなことを思い始めました。
「やっと長く付き合える友達は出来たけど、家の周りに誰も住んでない…なんか、さみしいぜ!」
中高一貫校に通ったため、生徒たちはそれぞれの地元から春日部まで通っていました。
なのでよっぽどの偶然で一致しない限り、基本的に自分の住んでいる地域には同級生はいませんでした。
当時遊び盛りだった自分にとって、学校帰りに駅で別れ、
周囲に友達の住んでいない実家へと独り帰っていくのはさみしいものがありました。
“地元”に憧れを抱く
元々の考えが甘かったのかもしれませんが、
結局、近くに友達がいっぱい住んでいて、学校から帰ったらみんなで公園などに集まって遊び、暗くなったら帰っていく。
そういう風景に憧れを抱いていました。
つまり
住んでいる地域で、その地域の人と暮らしていく。
これが当時の自分の中で一番憧れていたものでした。
「地元の友人」と呼べる存在はできたけれど、「地元」のないちょっと複雑な環境。
この状況で育った自分は、今度は一人暮らしに憧れていました。
自分一人である土地に飛び込み、地元の人と触れ合い、共に生活する。
そうしていつかそこが自分の「地元」になる。そんな、一人暮らし。
そうしていつしか受験期を迎え、「一人暮らし」が出来る大学選びを考えていました。
もちろん両親に高い学費を払ってもらいながら中高に通っていたので、
可能な限り志の高い大学を目指し、両親にも示しをつけようと思いがむしゃらに勉強していました。
筑波大学にギリギリ入学!
そして「一人暮らしが可能」「手が届かなさそうだけど頑張ればもしかしたらチャンスがあるかも?な大学」を選んだ結果、
筑波大学の生物資源学類を受験することに。
残念ながら現役では手が届かなかったため、
浪人という道を選んででも、理想の一人暮らしがしたいという思いにこだわっていました。
そうして長い受験期を終え、ギリギリ(合格最低点+1点)で筑波大学に滑り込み、
「やっと地元が持てるぅ~!!」と高揚。
ウキウキワクワクしながら、これからどんな大学生活になるのかで頭の中は常にいっぱい。
筑波大学の学内にある学生寮、平砂学生宿舎への入寮も決め、
ついに実家を離れて念願の一人暮らしをはじめました。
ここから数年、スーパーフリーダムに遊びほうける
勝手につくば大使の誕生秘話
やっと手に入れた未来の地元、つくば。
しかし、あまりにも今までと環境が変わりすぎて、真面目に勉強していたあの日々からは想像もつかない、ふざけた毎日を送っていました。
もちろん当時はそんな自覚はなく、自分の時間を好きなことにだけ自由に使って毎日を楽しんでいました。
家の周りには大学で出来た友人(こんな見た目だったので少数)が住んでいて、それが本当に楽しくて、
ひどいTHE・クズ大学生としてエンジョイしていました。
本当に当時周りにいた人たちには迷惑をかけたなぁと、今では常々申し訳なく思っております。
あまりにもフリーダムな環境が楽しすぎて、バカなひとときに酔いしれていました。
…そしてそこから「自由に生きていきたい。」という考えに発展。
とりあえず起業してみよう。自分が社長なら自由に生きていけるっしょ。
そういう甘~~い気持ちで、社会を舐めきっていました。
※起業という手段がこのトリアタマにあったのは、当時死ぬほどお世話になった尊敬する医学の先輩方に教えてもらったためです。
運命の夜
そうして大学3年生の冬まで、
「どんな事業を起こそうか」「どんな革新的なアイデアを出せば、一山当てられるのだろうか」
と、まるで博打のような考えで、うまいこと会社を起こせばうまいこといく!
その思いで、100円のノートに、こんなアイデアはどうかと日々ち~いさな脳みそをフル稼働して思いついたアイデアを綴っていました。自信のある事業アイデアも、もちろんありました。そんな中。
とある夜、同じ生物資源学類出身の大先輩に
「コムちゃん、久しぶり。最近何かしようとしているらしいじゃん。よかったら話を聞かせてよ。」
と言われ、何か少しでも意見がもらえるなら最高だ!と思い、大先輩の家にお邪魔することに。
(呼ばれたきっかけは、同期の友人がその大先輩に会った際に「コムが何かしようとしてますよ」と一言こぼしてくれたところから)
「お久しぶりです。実は今、こういうことをやろうかと思ってまして。」
「なるほど、とりあえずそのコムちゃんが今まで書いてきたアイデアノートを見せてみてよ。」
「はい!よかったら何か意見を下さい!!」
「・・・」
「どうですか?」
「・・・・・・くっっっそつまんねぇ。こんなことを起業して何になるんだ!やめちまえ。」
「!!!!!!」
そのとき、自分の心がパリーーーーンっていったのを覚えています。
1年以上に渡って頑張って綴ったアイデアノートが、ものの数秒でバチコーンと捨てられたのですから。
くっそつまんねぇ理由も、大先輩は教えてくれました。
そしてぐうの音も出ない自分は、完全に放心状態。
もう、人生終わった。と思った次の瞬間。
「じゃあ何か面白いことしようぜ。」
そういって先輩は、このどうしようもないトサカに救いの手を差し伸べてくれたのでした。
「え?本当ですか!考えたいです!!!」
絶望が一気に希望に変わり、その晩は
テーマ:ニワトリの今後
で語り合いました。
そこで色んなアイデアが出た中で、この一言が自分の人生を変えました。
「勝手につくば大使って面白そうじゃない?」
震えるほど面白そう!!
「やります!!」
勝手につくば大使は、この翌日から始まりました。
まさか、つくばの魅力を発信して生きていこうなんて、全く思いつきもしませんでした。
つくばのことをあんまり知らない自分が、そんな偉そうな事を言って良いのか。
あ、でも“勝手に”だし、良いのか!と。(笑)
ここから勝手につくば大使として、
生まれて初めてもつ”地元”つくばのこと、ブログのこと、カメラのこと、などなど
すべてが初めてな世界につま先から少しずつひたっていきました。
これが大使の誕生秘話です。実は自分、何にもしてないんです(笑)
メンバーの推移
ブログなどで勝手につくば大使の記事をみなさんがご覧になる時、恐らく色んな大使メンバーが登場するので困惑することかと思います。
なので一度、勝手につくば大使のメンバー歴を整理してみました。
つくばの魅力を広めるために、多くの仲間達がいました。色んな変遷を経て今があります。
それぞれ自分のやりたいこと、進むべき道を見つけ進んでいっていますので、
前大使メンバーたちを見かけた際は応援してくれると嬉しいです。
さいごに
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
茨城県つくば市、ここがどれだけアツい場所なのか、それを伝えるために勝手に就任してしまった勝手につくば大使。
けどここまでやってこれたのも、これからもガツガツ動いていくのも全ては
応援してくださっている読者の方々がいるからこそです。
“記事読んだよ。面白かった。こんな良いところもあるんだよ。頑張ってね。あっ大使の人だ!うちにも来てよ。応援してます。大使のおかげでつくばがより好きになりました。つくばで美味しいお店を教えてくれてありがとう。うちを紹介してくれてありがとう。”
など、勝手にやっているのにも関わらず、ありがたいお言葉をくれるみなさまのおかげで、
勝手につくば大使は進んでいます!ほんっっっとうにありがとうございます。
これからも少しずつですが、しっかりとつくばを勝手に紹介していきますので、
これからも変わらぬ応援を、どうぞよろしくお願いいたします。
勝手につくば大使 コム&あぼ